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山奥の午餐
2024-11-01
ご縁あって私、立原は奈良の奥地、女人高野室生寺(むろうじ)へ参拝の機会をいただきました。
鎌倉時代から一度も戦禍や天災に巻き込まれることない由緒ある国宝のお寺だそうです。
鬱蒼とした山あいと仏教美術品に囲まれた本堂でご法話を拝聴。
先に述べると以下、決して暗い話ではありません。
非常に心穏やかな時間でした
印象深かったことは二点。
一点目、ご法話のなかでの「何ノ為ニイキルノカ?」の質問。
私はこれまでの少ない経験から勝手に「『生きる目的』を探し続けるため」と想像していました。
しかし、ここでは「シヌ為ニイキル」と教わりました。なるほど
ご法話の解釈はひとそれぞれでよく、正解は決して一つではない。またそれは絶対のものではない。
話のなかで自分なりにかみ砕き、何か生きていくヒントに、きっかけに使ってもらえればよいとのこと。
生を受け、使える時間は有限。そこで費やした時間は、生きた証(バトン)として継ぐことができる。
今やっていること、これからやろうとしていることへ小さな日々の目標(趣味含め)を達成しながら大事に過ごそうと思いました。
紡ぐことができたなら「イキル意味」に少し触れられるのではないかな、と個人的に解釈しました。
二点目は、参拝後の諸先輩方のお言葉。近隣の料理屋さんにて意見交換会をしました。
「前年を踏襲しようと思うな、あえて余地を残し、自ら考え、アップグレードすることに価値がある」
「自らが率先して楽しみ、背中を見てもらうこと」
胸を打たれました。
話をすればするほど、言葉の重みと深み、センスに魅せられていました
適切な言葉は、選び方・使い方ひとつでこんなにも与える印象がかわり、そして人柄が表れるものなのですね
私はまだまだ、これから。
でもいつかそんな領域にたどり着きたい、そのための「時間」を考える、穏やかに楽しい経験を得られた一日でした
※当ブログの内容は個人の見解・感想でありますことをご了承ください。